京都ふたり旅-5 寂光院
2010年 09月 26日
洛北 寂光院
京都2日目は朝早く、友人Mさんが車で洛北へ案内してくれました。
まず大原の里へ行き、寂光院へ。
この上の山門まで、紅葉のシーズンはすれ違う人波に肩を寄せながら石段を登ったものですが、
今は朝9時、開門したばかり。誰もいない静かな寂光院でした。
写真も腕達者なMさんに蓮の花を撮る角度を教えてもらい、水面へ映り込ませて。
寂光院の本堂は2000年の放火事件で無残に焼けおちてしまったのでした。
本尊の地蔵菩薩も、脇に安置された建礼門院徳子や阿波内侍の像までもが焼けてしまったと知った時は
ただもう、愕然とした思いでテレビのニュースや新聞を見ていたのでした。
今、本堂におわしますのは、5年前に再建されたまばゆいばかりの極彩色の地蔵菩薩様。
むかし、本尊脇の暗がりで、人々の肩越しに伸びあがるようにして拝観した建礼門院と阿波内侍のお像は
常設ではなくなっているようで、写真でしか見ることはできませんでした。
私の記憶にある、年月にすすけて黒ずんで見えたお顔の色や法衣は、真っ白に生まれ変わっているようでした。
寂光院は、平家物語の幕引きである後鳥羽上皇の大原御行で有名ですが、建礼門院徳子が平家一門の御霊を弔いながら生きる覚悟を語る場面では、古くすすけたお像の方がなんとなくイメージがわいてくる気がするのでした。
先代の住職が詠んだ歌の歌碑。
こちらが平家物語ゆかりの、沙羅双樹の木。
京都2日目は朝早く、友人Mさんが車で洛北へ案内してくれました。
まず大原の里へ行き、寂光院へ。
この上の山門まで、紅葉のシーズンはすれ違う人波に肩を寄せながら石段を登ったものですが、
今は朝9時、開門したばかり。誰もいない静かな寂光院でした。
写真も腕達者なMさんに蓮の花を撮る角度を教えてもらい、水面へ映り込ませて。
寂光院の本堂は2000年の放火事件で無残に焼けおちてしまったのでした。
本尊の地蔵菩薩も、脇に安置された建礼門院徳子や阿波内侍の像までもが焼けてしまったと知った時は
ただもう、愕然とした思いでテレビのニュースや新聞を見ていたのでした。
今、本堂におわしますのは、5年前に再建されたまばゆいばかりの極彩色の地蔵菩薩様。
むかし、本尊脇の暗がりで、人々の肩越しに伸びあがるようにして拝観した建礼門院と阿波内侍のお像は
常設ではなくなっているようで、写真でしか見ることはできませんでした。
私の記憶にある、年月にすすけて黒ずんで見えたお顔の色や法衣は、真っ白に生まれ変わっているようでした。
寂光院は、平家物語の幕引きである後鳥羽上皇の大原御行で有名ですが、建礼門院徳子が平家一門の御霊を弔いながら生きる覚悟を語る場面では、古くすすけたお像の方がなんとなくイメージがわいてくる気がするのでした。
先代の住職が詠んだ歌の歌碑。
こちらが平家物語ゆかりの、沙羅双樹の木。
by mamag_riry
| 2010-09-26 23:08
| 今日の想い