義母のつぶやき
2013年 01月 02日
結婚以来33年、毎年2日には夫の両親宅へ兄弟家族が参集して年始の挨拶と食事会をしてきました。
お義母さんの手料理とお嫁さん同士も何か一品を持ち寄って、いわば内々の賀詞交歓会みたいな感じで、無事の報告やら家族の何やらかにやら、それに今年の抱負だの予定だの色々と。
過ごしてきた33年の間には、家族夫々、それはそれは色々な年がありました。
どんなときも兄弟やその家族に何かあれば案じ合い、時にともに悲しみ、誰かの喜びはともに皆の喜びであり、ともかくよい家族の集まりでした。適当な距離があったというのもうまくいく一つの理由ではありました。
義父は昨年、老人施設に入り、90歳になった義母はそれを機に二人暮らしだったマンションを後にし、長男夫婦宅に身を寄せています。
そして今年から年始はその長男宅でということになり、長女のお婿さんが車を出してくれて横浜の外れまで行ってきました。
一年ぶりに見る義母は動きが減った分、筋肉も落ちてすっかり痩せていました。そして私たちが代わる代わる声をかけに近寄ってゆくと義母は、「しあわせだねぇ」と小さくつぶやきました。
こうしていることが幸せだ、と自分に言い聞かせているようにも、私たちの姿を見て私たちにそう言っているようにも聞こえました。どっちなんだろう。またはもっと別の意味が・・・?
そんなことを言葉にする人ではなかった。。。
2時間ほどの間に、4、5回聞いた「しあわせだねぇ」。その呟きの意味が気になっていました。どっちなのだろう。
さて、帰り道のことです。
夜はどこかで夕飯を食べて帰りましょうと、ファミリーレストランに入った時のことです。
似たような5人連れ、6人連れの3世代家族があちこちに見られ、ふだんそういうところへ入らない私はちょっと新鮮な驚きをもってキョロキョロ。
よく見れば自分も同じ。夫と自分と長女夫婦と孫二人。6人が一つのテーブルを囲み、孫の動きを目で追いながら温かいものを食べている・・・。
とても幸せ。とてもありがたい。もったいないほど。私もいま、他の誰かとよく似た幸せ、他の誰かと区別がつかないほどよく似た幸せを味わっている。。。
背中越しのテーブルから、孫をあやしながら、孫と明日の約束をする祖父母の声が聞こえました。
こんなとき、私の頭の中をほんの一瞬よぎるのは、アンナ・カレーニナの冒頭の文章。。。
その瞬間、さきほどの疑問は確信に変わりました。
義母の小さな呟き、「しあわせだねぇ」。。。それは、やはり自分自身に言い聞かせていたのだ、と。
*************************
本当は見たくなかったことでした。
目の前のお菓子にそっと手を伸ばした義母。間髪入れずその手をピシャリと叩いた義姉の手。義母のその行いを否定した、これまで聞いたことのない低い声。
そういえば在宅していた2時間余りの間、義兄と義姉が直接言葉を交わしたのを一度も見なかった。。。
あんなに仲の良かった二人、嵐の吹きすさんだ時も改めて深い愛を確かめ合った二人。。。
義姉は私の傍らに座り、「○○ってどうなのかしら。▽△になっちゃうの」とこぼし、私は少しでも義姉の心の負担が軽くなればと思いながら求めに応じ、両親の介護経験を少し話したのでした。介護などと言えるほどの期間もしていないのですが。
そういえば義兄はいつか、急に私の傍らへ来て耳打ちしたのです。
「○○子さん、今まで大変だったでしょう。よくがんばったよね。今、僕がそうだよ。毎日、(妻と)闘いだよ。 我々は同士だよ、同士!」
お酒のうえの機嫌のよい冗談だとしても、我が家の事情を知っている義兄の言葉として、ただ聞き流すには重いものとして記憶に残っています。
介護。 介護はほんとうに大変なことなのです。
記録としてブログに残しておきたいので書きました。
まだお正月なのに、重い話題を出してしまい気分を害されたらごめんなさい。読み飛ばしてください。
お義母さんの手料理とお嫁さん同士も何か一品を持ち寄って、いわば内々の賀詞交歓会みたいな感じで、無事の報告やら家族の何やらかにやら、それに今年の抱負だの予定だの色々と。
過ごしてきた33年の間には、家族夫々、それはそれは色々な年がありました。
どんなときも兄弟やその家族に何かあれば案じ合い、時にともに悲しみ、誰かの喜びはともに皆の喜びであり、ともかくよい家族の集まりでした。適当な距離があったというのもうまくいく一つの理由ではありました。
義父は昨年、老人施設に入り、90歳になった義母はそれを機に二人暮らしだったマンションを後にし、長男夫婦宅に身を寄せています。
そして今年から年始はその長男宅でということになり、長女のお婿さんが車を出してくれて横浜の外れまで行ってきました。
一年ぶりに見る義母は動きが減った分、筋肉も落ちてすっかり痩せていました。そして私たちが代わる代わる声をかけに近寄ってゆくと義母は、「しあわせだねぇ」と小さくつぶやきました。
こうしていることが幸せだ、と自分に言い聞かせているようにも、私たちの姿を見て私たちにそう言っているようにも聞こえました。どっちなんだろう。またはもっと別の意味が・・・?
そんなことを言葉にする人ではなかった。。。
2時間ほどの間に、4、5回聞いた「しあわせだねぇ」。その呟きの意味が気になっていました。どっちなのだろう。
さて、帰り道のことです。
夜はどこかで夕飯を食べて帰りましょうと、ファミリーレストランに入った時のことです。
似たような5人連れ、6人連れの3世代家族があちこちに見られ、ふだんそういうところへ入らない私はちょっと新鮮な驚きをもってキョロキョロ。
よく見れば自分も同じ。夫と自分と長女夫婦と孫二人。6人が一つのテーブルを囲み、孫の動きを目で追いながら温かいものを食べている・・・。
とても幸せ。とてもありがたい。もったいないほど。私もいま、他の誰かとよく似た幸せ、他の誰かと区別がつかないほどよく似た幸せを味わっている。。。
背中越しのテーブルから、孫をあやしながら、孫と明日の約束をする祖父母の声が聞こえました。
こんなとき、私の頭の中をほんの一瞬よぎるのは、アンナ・カレーニナの冒頭の文章。。。
その瞬間、さきほどの疑問は確信に変わりました。
義母の小さな呟き、「しあわせだねぇ」。。。それは、やはり自分自身に言い聞かせていたのだ、と。
*************************
本当は見たくなかったことでした。
目の前のお菓子にそっと手を伸ばした義母。間髪入れずその手をピシャリと叩いた義姉の手。義母のその行いを否定した、これまで聞いたことのない低い声。
そういえば在宅していた2時間余りの間、義兄と義姉が直接言葉を交わしたのを一度も見なかった。。。
あんなに仲の良かった二人、嵐の吹きすさんだ時も改めて深い愛を確かめ合った二人。。。
義姉は私の傍らに座り、「○○ってどうなのかしら。▽△になっちゃうの」とこぼし、私は少しでも義姉の心の負担が軽くなればと思いながら求めに応じ、両親の介護経験を少し話したのでした。介護などと言えるほどの期間もしていないのですが。
そういえば義兄はいつか、急に私の傍らへ来て耳打ちしたのです。
「○○子さん、今まで大変だったでしょう。よくがんばったよね。今、僕がそうだよ。毎日、(妻と)闘いだよ。 我々は同士だよ、同士!」
お酒のうえの機嫌のよい冗談だとしても、我が家の事情を知っている義兄の言葉として、ただ聞き流すには重いものとして記憶に残っています。
介護。 介護はほんとうに大変なことなのです。
記録としてブログに残しておきたいので書きました。
まだお正月なのに、重い話題を出してしまい気分を害されたらごめんなさい。読み飛ばしてください。
by mamag_riry
| 2013-01-02 23:41
| 今日の想い