北海道ひとり旅-塘路編2
2012年 08月 24日
塘路2日目の朝、6時。地元のガイドさんが近くのサルボ展望台まで早朝ハイキングで案内してくれる。
今日は写真といっしょにガイドさんから聞いたあれこれを、備忘録として書きます。けっこうたくさん。
靄のかかる朝6時の塘路駅。
ガイドさんは半袖。半袖は秋風が立つ8月半ばまでのことでそれをすぎたら朝は半袖では寒いとのこと。
「北海道新聞社」の看板のある古い建物。なつかしい板場目の家だ。
アイヌのガイドさん。ここでの暮らしに実に詳しく、道すがら昔のアイヌの生活や植物のこと、いろいろ話してくれた。以降はぜんぶガイドさんのお話の受け売り(*^_^*)。
下の写真は槐(エンジュ)の枝。山の中へ入る手前に槐の木が一本立っている。アイヌはこの木の葉を魔除けとして使っていた。適当な枝を手折ると独特の匂いがする。この匂いが悪魔祓いになり、病気などの災いが入ってこない。
大事な農耕馬のいるところにも必ずこの木や葉を置いたそうだ。丈夫な木で床柱としても使われる。
この枝をもって歩いたおかげで虫も追い払えたし、クマも・・・はどうかな(笑
マメ科の植物でマメのような白い花が咲き、そのあとでサヤに入った豆ができる。
人っ子一人いないクマザサの道が続く。
「クマは出ません?」と聞くと「クマが出てもこうして話してれば大丈夫」と。 「(^_^;)(;_:)」
クマだって人と出くわすのをいやがる。こうして話しながら歩いているとクマも一定の距離を保ってくれる。だから人はクマが出たって山菜採りにも山へ入る。
ただし、山菜採りのクマ除けには鈴は向かない。山菜を採るのに夢中で黙ってしまうから。その点携帯ラジオが一番いい。ときには爆竹を持って時々バチバチ鳴らしながら歩くことも。
クマザサの道を登ってゆく。
けものみちがある!
なんとなくうねうねと曲がりながら続く。これは動物が通った跡。
身の安全を守るため決してまっすぐには歩かない。そして一度ついたけものみちは安全だとわかっているので自然とほかの動物も同じ道を歩くので、こんなふうに何となく跡がつく。これがけものみち。
これはトリカブト。9月のはじめころ、てっぺんに青紫のきれいな花が咲く。
山奥まで行かなくてもこの辺に普通に群生している。葉の形がヨモギによく似ていて同じく山中にあることでたまに間違えて摘まれる。ほんの微量で致死量に達し、命を落としたり重篤な症状に遭うキケンな植物だ。
葉そのものに毒性があって間違えやすいほど似ている点ではニラとスイセンも同じだそうだ。
これはイラクサ。 11月ころ枯れてから刈り取り、よく揉むと丈夫な繊維ができる。木綿が手に入る前はアイヌもよくこれで衣服を作っていた。
・・・このお話でアンデルセンの童話「白鳥の王子」を思い出した。白鳥にされた11人の兄王子の魔法を解くため、必死でこのイラクサを糸にして服を織る妹王女のお話。
「草なんかで服を作ったって着せる前に壊れてしまうでしょうに・・・」という子供のころの疑問が一気に解けた瞬間だった\(◎o◎)/!
なるほど、アイヌの人たちも実際に着ていたのね。丈夫な糸なのねということがはじめて分かって納得。50年以上も前の疑問の答えがこんなところで解決するとは!人生ってだから面白い。
これは今年の冬に鹿が食べた白樺の木
鹿に食べられた後、こうなると木は死んでしまう。鹿はクマザサを食べるが秋、山奥になくなると人里へ出てきてクマザサを食べる。2月ごろにはこのへんのクマザサもきれいに食べつくしてしまう。
クマザサがなくなると白樺の木に前足を掛け、伸び上って木の皮を食べる。鹿にとって木の皮は満腹感はあるが栄養分はないので結局冬を越せず栄養不足で凍え死んでしまうモノが出るのだが。
これは菩提樹。
今の時期、皮を剥ぐと繊維になるが目が粗いので衣服ではなく、船をつなぐロープにした。
チシャ跡
チャシは見張り台の役目をした。絶壁になっていて下からは登ってこれない。昔からアイヌの食糧ともなっていたべかんべを巡って近在の争いがあった。
チシャからの眺め。生い茂った木々の間からは湖で不当にべかんべを採ろうとする者が一目でわかる。見張り台の役目としてのチャシはこのほかにあと6か所あった。
昭和30年代頃の昔は夏に「べかんべ祭り」があってにぎわった。湖のべかんべは放っておくと実がはじけて湖に沈んでしまう。
食糧とするにはべかんべは手がかかるので他の食糧が手に入るようになるとべかんべを採ることがなくなり、昔は帯状に這っていたべかんべが、今は一面を広く覆うほど広がってしまっている。
サルボ展望台からの眺め。湿原が見渡せる。
湿原は元々は海、遠くにかすむ山の麓まで大きな湾だった。今、釧路湿原だけで日本の湿原の面積の6割を占める。
北海道の地名には水と関係するアイヌ語の「内」や「別」、「沼」のつく地名が多い。「稚内」の「わっか」は「きれいな水」の意味。「塘路」は「おおきな湖のあるところ」の意味。
朝もやにかすむ沼。霧が晴れれば雄阿寒岳も見える。
タンチョウの生息地である根室は左手、太陽のあがっている方。自然を崇拝するアイヌにとってタンチョウは湿原の神だった。
そして11月には氷点下。雪の少ないときは湖の凍るのも早い。氷が張って2、3日すると厚さは5センチ程度になり、人が歩ける。冬の訪れは早い。
ガイドさんのお話、宿へ帰って忘れないうちにφ(..)メモメモしました。 以上で受け売り、おしまいっ(*^_^*)。
散歩で撮った花
*************************************
「とうろの宿」
朝食のあと、出発まで少しの時間くつろく。
窓からの景色もすばらしい。
昼近く、ノロッコ号まで2時間ほど。歩いて塘路湖まで。
見納めの景色をじっくりと味わう。
ノロッコ号
ずっとずっと昔から、札幌を通るたびに目にしていたポスターの、これがノロッコ号。今日はこのノロッコ号で湿原の中を走り、終点の釧路まで行く。
一度も使われることのなかったという岩保木水門
さて、旅の終焉、釧路駅が見えてきた。
なが~~いのを読んでくださってありがとうございました。
ラストあと1ぽん(^_-)どうぞよろしく!
今日は写真といっしょにガイドさんから聞いたあれこれを、備忘録として書きます。けっこうたくさん。
靄のかかる朝6時の塘路駅。
ガイドさんは半袖。半袖は秋風が立つ8月半ばまでのことでそれをすぎたら朝は半袖では寒いとのこと。
「北海道新聞社」の看板のある古い建物。なつかしい板場目の家だ。
アイヌのガイドさん。ここでの暮らしに実に詳しく、道すがら昔のアイヌの生活や植物のこと、いろいろ話してくれた。以降はぜんぶガイドさんのお話の受け売り(*^_^*)。
下の写真は槐(エンジュ)の枝。山の中へ入る手前に槐の木が一本立っている。アイヌはこの木の葉を魔除けとして使っていた。適当な枝を手折ると独特の匂いがする。この匂いが悪魔祓いになり、病気などの災いが入ってこない。
大事な農耕馬のいるところにも必ずこの木や葉を置いたそうだ。丈夫な木で床柱としても使われる。
この枝をもって歩いたおかげで虫も追い払えたし、クマも・・・はどうかな(笑
マメ科の植物でマメのような白い花が咲き、そのあとでサヤに入った豆ができる。
人っ子一人いないクマザサの道が続く。
「クマは出ません?」と聞くと「クマが出てもこうして話してれば大丈夫」と。 「(^_^;)(;_:)」
クマだって人と出くわすのをいやがる。こうして話しながら歩いているとクマも一定の距離を保ってくれる。だから人はクマが出たって山菜採りにも山へ入る。
ただし、山菜採りのクマ除けには鈴は向かない。山菜を採るのに夢中で黙ってしまうから。その点携帯ラジオが一番いい。ときには爆竹を持って時々バチバチ鳴らしながら歩くことも。
クマザサの道を登ってゆく。
けものみちがある!
なんとなくうねうねと曲がりながら続く。これは動物が通った跡。
身の安全を守るため決してまっすぐには歩かない。そして一度ついたけものみちは安全だとわかっているので自然とほかの動物も同じ道を歩くので、こんなふうに何となく跡がつく。これがけものみち。
これはトリカブト。9月のはじめころ、てっぺんに青紫のきれいな花が咲く。
山奥まで行かなくてもこの辺に普通に群生している。葉の形がヨモギによく似ていて同じく山中にあることでたまに間違えて摘まれる。ほんの微量で致死量に達し、命を落としたり重篤な症状に遭うキケンな植物だ。
葉そのものに毒性があって間違えやすいほど似ている点ではニラとスイセンも同じだそうだ。
これはイラクサ。 11月ころ枯れてから刈り取り、よく揉むと丈夫な繊維ができる。木綿が手に入る前はアイヌもよくこれで衣服を作っていた。
・・・このお話でアンデルセンの童話「白鳥の王子」を思い出した。白鳥にされた11人の兄王子の魔法を解くため、必死でこのイラクサを糸にして服を織る妹王女のお話。
「草なんかで服を作ったって着せる前に壊れてしまうでしょうに・・・」という子供のころの疑問が一気に解けた瞬間だった\(◎o◎)/!
なるほど、アイヌの人たちも実際に着ていたのね。丈夫な糸なのねということがはじめて分かって納得。50年以上も前の疑問の答えがこんなところで解決するとは!人生ってだから面白い。
これは今年の冬に鹿が食べた白樺の木
鹿に食べられた後、こうなると木は死んでしまう。鹿はクマザサを食べるが秋、山奥になくなると人里へ出てきてクマザサを食べる。2月ごろにはこのへんのクマザサもきれいに食べつくしてしまう。
クマザサがなくなると白樺の木に前足を掛け、伸び上って木の皮を食べる。鹿にとって木の皮は満腹感はあるが栄養分はないので結局冬を越せず栄養不足で凍え死んでしまうモノが出るのだが。
これは菩提樹。
今の時期、皮を剥ぐと繊維になるが目が粗いので衣服ではなく、船をつなぐロープにした。
チシャ跡
チャシは見張り台の役目をした。絶壁になっていて下からは登ってこれない。昔からアイヌの食糧ともなっていたべかんべを巡って近在の争いがあった。
チシャからの眺め。生い茂った木々の間からは湖で不当にべかんべを採ろうとする者が一目でわかる。見張り台の役目としてのチャシはこのほかにあと6か所あった。
昭和30年代頃の昔は夏に「べかんべ祭り」があってにぎわった。湖のべかんべは放っておくと実がはじけて湖に沈んでしまう。
食糧とするにはべかんべは手がかかるので他の食糧が手に入るようになるとべかんべを採ることがなくなり、昔は帯状に這っていたべかんべが、今は一面を広く覆うほど広がってしまっている。
サルボ展望台からの眺め。湿原が見渡せる。
湿原は元々は海、遠くにかすむ山の麓まで大きな湾だった。今、釧路湿原だけで日本の湿原の面積の6割を占める。
北海道の地名には水と関係するアイヌ語の「内」や「別」、「沼」のつく地名が多い。「稚内」の「わっか」は「きれいな水」の意味。「塘路」は「おおきな湖のあるところ」の意味。
朝もやにかすむ沼。霧が晴れれば雄阿寒岳も見える。
タンチョウの生息地である根室は左手、太陽のあがっている方。自然を崇拝するアイヌにとってタンチョウは湿原の神だった。
そして11月には氷点下。雪の少ないときは湖の凍るのも早い。氷が張って2、3日すると厚さは5センチ程度になり、人が歩ける。冬の訪れは早い。
ガイドさんのお話、宿へ帰って忘れないうちにφ(..)メモメモしました。 以上で受け売り、おしまいっ(*^_^*)。
散歩で撮った花
*************************************
「とうろの宿」
朝食のあと、出発まで少しの時間くつろく。
窓からの景色もすばらしい。
昼近く、ノロッコ号まで2時間ほど。歩いて塘路湖まで。
見納めの景色をじっくりと味わう。
ノロッコ号
ずっとずっと昔から、札幌を通るたびに目にしていたポスターの、これがノロッコ号。今日はこのノロッコ号で湿原の中を走り、終点の釧路まで行く。
一度も使われることのなかったという岩保木水門
さて、旅の終焉、釧路駅が見えてきた。
なが~~いのを読んでくださってありがとうございました
ラストあと1ぽん(^_-)どうぞよろしく!
by mamag_riry
| 2012-08-24 13:03