北海道ひとり旅-函館編3
2012年 08月 06日
7月27日金曜日のこと- すてきなことがあった日
基坂(もといざか)を登り切ったところに、コロニアルスタイルの美しい洋館「旧函館区公会堂」がある。
明治末期の木造建築で重要文化財指定の建物。シンメトリーの美しさが一際目を引く。
当時の函館の豪商、相馬哲平からの5万円の寄付を以て明治の大火の後、新設されたのだという。今のお金にすると十数億円だそうだ。
しかも設計から施工まですべて函館在住の日本人技師や大工の手になるというから驚く。
皇族も泊まられたという内部の意匠は細かいところまで美しい。ホテル構想もあったそうだが一度もホテルとして利用されたことはなかったという。それも建物の傷みが少ない所以なのかもしれない。
階下で写真を撮りまくっていると、ドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」のピアノ曲が聴こえてきた。
どこかで音楽を流しているのだろう、雰囲気がここにピッタリだわ、と思いながらまだあちこち撮りまくっていたが、ふと、何曲目かの終わりの拍手の音が本物の音のような気がした。
耳を澄ますとピアノは2階から聞こえてくる。これは放送じゃない、と音のするほうへ急いだ。
やがて体育館ほどもある大広間があらわれ、舞台でピアノを弾いている男性が見えた。20脚ほどの椅子に観客が座っている。そっと近づいて行った。
とてもすばらしい音。でも誰なのか、なぜここでこの時間に弾いているのかわからない。ショパンを弾き終ると、少ない観客におじぎをして終わってしまった。人もいなくなってしまった。
もっと早く気が付けばよかったのに惜しかった、と思いながらまた写真を撮り始めたが、ふと、少し離れた位置で立って見ていた年配の男性が、さきほどのピアニストにかかわりがあるような気がして声をかけてみた。
すると、彼が函館出身の類家唯という27歳の若者で、留学先のドイツから戻ったばかりで、金曜日のこの時間にボランティアで弾いていることなどを教えてくれた。これから一緒に食事に行くので待っているのだという。
「リクエストなども聞いてくれるのですか?」というと、
「そういうこともたまにありますよ。何か聞きたい曲があれば今、降りてくるから言ってごらんなさい」
と話しているうち、類家さんがこちらに近づいてきた。
でももう終わったのだし、食事に行かれるのだろうし、私一人のためにそんな、、、と遠慮したのだが、
「こちらの方がリクエストがあるそうだよ」、「さぁ、どうぞ、言ってごらんなさい」とうながされ、
「では、ショパンのノクターンの…」、本当にお願いしてもいいものかと一瞬ためらっていると、
「はい、大丈夫ですよ、ショパンですね」とピアノに向かって歩き出される。
なのに私はずうずうしくもその後ろ姿に、さっきためらっていた言葉の続きを言ってしまったのだ。
「あの、、、できれば13番を」。
「あー、13番は用意してないのです。2番ならば。2番でいいですか?」と類家さん。
プロだからちゃんと準備というものがあるのにとんでもないことを言ってしまったと思ったがもう遅い。なんておバカな私だろう。
それでも快くショパンのノクターン2番を、私のためだけにもう一度弾いてくれた。もったいないほどの幸せな時間だった。鳥肌が立ちながら目を閉じて聴いた。
この日、旧函館区公会堂で過ごした時間は一生忘れない。
基坂(もといざか)を登り切ったところに、コロニアルスタイルの美しい洋館「旧函館区公会堂」がある。
明治末期の木造建築で重要文化財指定の建物。シンメトリーの美しさが一際目を引く。
当時の函館の豪商、相馬哲平からの5万円の寄付を以て明治の大火の後、新設されたのだという。今のお金にすると十数億円だそうだ。
しかも設計から施工まですべて函館在住の日本人技師や大工の手になるというから驚く。
皇族も泊まられたという内部の意匠は細かいところまで美しい。ホテル構想もあったそうだが一度もホテルとして利用されたことはなかったという。それも建物の傷みが少ない所以なのかもしれない。
階下で写真を撮りまくっていると、ドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」のピアノ曲が聴こえてきた。
どこかで音楽を流しているのだろう、雰囲気がここにピッタリだわ、と思いながらまだあちこち撮りまくっていたが、ふと、何曲目かの終わりの拍手の音が本物の音のような気がした。
耳を澄ますとピアノは2階から聞こえてくる。これは放送じゃない、と音のするほうへ急いだ。
やがて体育館ほどもある大広間があらわれ、舞台でピアノを弾いている男性が見えた。20脚ほどの椅子に観客が座っている。そっと近づいて行った。
とてもすばらしい音。でも誰なのか、なぜここでこの時間に弾いているのかわからない。ショパンを弾き終ると、少ない観客におじぎをして終わってしまった。人もいなくなってしまった。
もっと早く気が付けばよかったのに惜しかった、と思いながらまた写真を撮り始めたが、ふと、少し離れた位置で立って見ていた年配の男性が、さきほどのピアニストにかかわりがあるような気がして声をかけてみた。
すると、彼が函館出身の類家唯という27歳の若者で、留学先のドイツから戻ったばかりで、金曜日のこの時間にボランティアで弾いていることなどを教えてくれた。これから一緒に食事に行くので待っているのだという。
「リクエストなども聞いてくれるのですか?」というと、
「そういうこともたまにありますよ。何か聞きたい曲があれば今、降りてくるから言ってごらんなさい」
と話しているうち、類家さんがこちらに近づいてきた。
でももう終わったのだし、食事に行かれるのだろうし、私一人のためにそんな、、、と遠慮したのだが、
「こちらの方がリクエストがあるそうだよ」、「さぁ、どうぞ、言ってごらんなさい」とうながされ、
「では、ショパンのノクターンの…」、本当にお願いしてもいいものかと一瞬ためらっていると、
「はい、大丈夫ですよ、ショパンですね」とピアノに向かって歩き出される。
なのに私はずうずうしくもその後ろ姿に、さっきためらっていた言葉の続きを言ってしまったのだ。
「あの、、、できれば13番を」。
「あー、13番は用意してないのです。2番ならば。2番でいいですか?」と類家さん。
プロだからちゃんと準備というものがあるのにとんでもないことを言ってしまったと思ったがもう遅い。なんておバカな私だろう。
それでも快くショパンのノクターン2番を、私のためだけにもう一度弾いてくれた。もったいないほどの幸せな時間だった。鳥肌が立ちながら目を閉じて聴いた。
この日、旧函館区公会堂で過ごした時間は一生忘れない。
by mamag_riry
| 2012-08-06 09:22