北海道ひとり旅-釧路編・完結
2012年 08月 26日
さて、私のひとり旅もラストです。5泊6日をかけて道南→道央→道東と、こんな感じで旅をしました。
***************************
この旅が釧路で終わるようしたのにはちょっとした理由があった。
原田康子の小説、「挽歌」の舞台になった釧路を訪ねてみようと思ったから。下は幣舞橋の欄干に立つ四季の像。小説には出てこないが。
映画や挽歌族という言葉が流行ったころ、私はまだ小学生だったからそんなことは知る由もなく、この小説と出会ったのはたぶん10代の終わりか二十歳くらい。3回は読んだと思う。
背表紙の「挽歌」という書名に魅かれて手に取り、ページをめくると従兄の住む北海道のことが書かれていて、それでなんとなく買った。
ところが、多感な年頃の娘(←だったはず)にはまさに衝撃の一冊だった。内容は書き出すととまらなくなりそうなのでほんの少しだけ。。
小説の中でヒロインの玲子が挑発するように発した言葉「ムッシュがコキュだからよ」のコキュの意味は英語の辞書には載っていなかった。フランス語の辞書はない。
訪ねる人は先生くらいだけど、なんとなく聞けない言葉のような気がしてその先を読み進めながら意味を探り、どうやらそういうことらしいと解かったときの衝撃!(写真は「春」)
果てしなく続く湿原の闇と、霧の幣舞橋は、自虐的に堕ちてゆくヒロインが抱える原風景のように最後まで纏わりついているのに、とつぜん現れるごくふつうの明るい若さがまた衝撃の裏切り!(写真は「夏」)
クライマックス、桂木夫人の遺体が見つかったという風連湖までの単調な一本道の描写と夫人の白いデスマスク。風連湖もデスマスクも初めて知った。衝撃!ショック!(写真は「秋」)
こんなダメージをあちらこちらに散らかしたまま、新たな明日へ向かうであろうヒロインを予感させた物語の終わり方もまた衝撃。(写真は「冬」)
・・・少し、と言いながらやっぱり(-"-)。
ともかく、小説を読んで以来「風蓮湖」という名は忘れられず、その(たぶん)数年後、法事で北海道を訪れたとき、従兄にたのんで風連湖へ連れてきてもらった。その風景と音は今でもはっきりと思い返すことができる。
前置きが長くなってしまったけど、これが未踏の釧路をぜひラストにと思った理由。
ところが釧路空港までのシャトルバスが発車するまであまり時間がなく、ひげさんオススメの和商市場と私が行きたい幣舞橋、両方いくのは無理そう。おいしそうなお昼を楽しみにしてたけど。
シャトルバスの発券所で「幣舞橋だけなら行ってこれるか?」ときくと、それすらも時間がないから止めた方がいいと言われてしまった。
幣舞橋だけでもいい、あきらめきれない私はタクシーへダッシュ。「渋滞しなければいいけどなぁ・・・」と気乗りしない様子で時計を見ている運転手さんに、
「写真を撮る間だけでいい。タイムリミットだと思ったらクラクションで合図して」とお願いして後部シートに滑り込んだ。
構図なんて考えているひまもなく、とりあえず撮った、四季の像と幣舞橋からの風景は、なんだか「行った」という証拠写真のようになってしまった気もするけど。
「釧路を味わう時間がなくて残念」というと、「見どころは幣舞橋だけですから」と、運転手さん。
小説の中にしばしば登場した喫茶店「ダフネ」を探し当てるには、この街にアンバーのフィルターをかけ、タイムマシンで時間を遡るしかない、、、か。
*************************
これでおしまいです 長い長い旅行記にお付き合いくださいましてありがとうございました。
たま~の旅行はついお土産を買いすぎる。あの人に、この人に・・・って。
62歳の一人旅、人生のいい一区切りでした。
***************************
この旅が釧路で終わるようしたのにはちょっとした理由があった。
原田康子の小説、「挽歌」の舞台になった釧路を訪ねてみようと思ったから。下は幣舞橋の欄干に立つ四季の像。小説には出てこないが。
映画や挽歌族という言葉が流行ったころ、私はまだ小学生だったからそんなことは知る由もなく、この小説と出会ったのはたぶん10代の終わりか二十歳くらい。3回は読んだと思う。
背表紙の「挽歌」という書名に魅かれて手に取り、ページをめくると従兄の住む北海道のことが書かれていて、それでなんとなく買った。
ところが、多感な年頃の娘(←だったはず)にはまさに衝撃の一冊だった。内容は書き出すととまらなくなりそうなのでほんの少しだけ。。
小説の中でヒロインの玲子が挑発するように発した言葉「ムッシュがコキュだからよ」のコキュの意味は英語の辞書には載っていなかった。フランス語の辞書はない。
訪ねる人は先生くらいだけど、なんとなく聞けない言葉のような気がしてその先を読み進めながら意味を探り、どうやらそういうことらしいと解かったときの衝撃!(写真は「春」)
果てしなく続く湿原の闇と、霧の幣舞橋は、自虐的に堕ちてゆくヒロインが抱える原風景のように最後まで纏わりついているのに、とつぜん現れるごくふつうの明るい若さがまた衝撃の裏切り!(写真は「夏」)
クライマックス、桂木夫人の遺体が見つかったという風連湖までの単調な一本道の描写と夫人の白いデスマスク。風連湖もデスマスクも初めて知った。衝撃!ショック!(写真は「秋」)
こんなダメージをあちらこちらに散らかしたまま、新たな明日へ向かうであろうヒロインを予感させた物語の終わり方もまた衝撃。(写真は「冬」)
・・・少し、と言いながらやっぱり(-"-)。
ともかく、小説を読んで以来「風蓮湖」という名は忘れられず、その(たぶん)数年後、法事で北海道を訪れたとき、従兄にたのんで風連湖へ連れてきてもらった。その風景と音は今でもはっきりと思い返すことができる。
前置きが長くなってしまったけど、これが未踏の釧路をぜひラストにと思った理由。
ところが釧路空港までのシャトルバスが発車するまであまり時間がなく、ひげさんオススメの和商市場と私が行きたい幣舞橋、両方いくのは無理そう。おいしそうなお昼を楽しみにしてたけど。
シャトルバスの発券所で「幣舞橋だけなら行ってこれるか?」ときくと、それすらも時間がないから止めた方がいいと言われてしまった。
幣舞橋だけでもいい、あきらめきれない私はタクシーへダッシュ。「渋滞しなければいいけどなぁ・・・」と気乗りしない様子で時計を見ている運転手さんに、
「写真を撮る間だけでいい。タイムリミットだと思ったらクラクションで合図して」とお願いして後部シートに滑り込んだ。
構図なんて考えているひまもなく、とりあえず撮った、四季の像と幣舞橋からの風景は、なんだか「行った」という証拠写真のようになってしまった気もするけど。
「釧路を味わう時間がなくて残念」というと、「見どころは幣舞橋だけですから」と、運転手さん。
小説の中にしばしば登場した喫茶店「ダフネ」を探し当てるには、この街にアンバーのフィルターをかけ、タイムマシンで時間を遡るしかない、、、か。
*************************
これでおしまいです
たま~の旅行はついお土産を買いすぎる。あの人に、この人に・・・って。
62歳の一人旅、人生のいい一区切りでした。
by mamag_riry
| 2012-08-26 10:59